大学中退は詰み?人生終了?大学中退者が語るその後の人生体験談

大学を中退するとその後の人生はどうなってしまうのでしょうか?

よく2chなどのまとめサイトを見ると、「大学中退は詰み」「まともなとこに就職できない」

などの書き込みをよく見かけますよね。

僕は当時19歳、2年生の春で大学を中退しました。

そこからかなりの困難や苦労はありましたが、現在は正社員として、都内のオフィスで働いています。

実際に大学を中退した人は、どのような道を辿っているのか?

この記事では、実際に大学中退を経験した僕が語る、中退した後の人生体験談を綴っていきます。

大学を中退するまで

ただのオタクだった中学・高校時代

中学生のころ、僕はただのオタクでした。

アニメやゲーム、漫画が好きな、いわゆる典型的な二次元オタク。

勉強もできなければ運動もできなくて、何のとりえもない、本当に冴えないやつでした。

高校生になってからは、2chまとめブログに書かれていた

「今時は大学に行かないと就職できない。高卒は負け組」

みたいなスレや書き込みを見て、「大学に行かないとまずいのかな・・・?」と考えるようになり、ここで初めて自分の将来や進路をまともに意識しました。

2chには学歴コンプレックスを持った人がたくさんいました。

「せめてMARCHに入らないと負け組」「日東駒専(ニッコマ)はFラン」

このような書き込みを多くに目にしたせいで、僕は通っている高校の偏差値が45だったにもかかわらず「よし、MARCHを目指そう!」と無謀な挑戦を決意。

ネットで評判の良い参考書を買い込んで独学で偏差値を上げようと試みますが、今まで勉強なんてしてこなかったので当然すぐに挫折しました(笑)

なんとなくで決めた大学への入学

高校3年生になって進路を決める時期になった頃、先生からの薦めもあって、僕はもう受験を諦めて指定校推薦で行ける大学を狙う方向に切り替えていました。

幸い、「有名大学を受験するなら学校のテストぐらいは完璧にやっておかないと」という考えで、学校の定期テストはほとんど90点以上の高得点だったため、そこそこの評定を持っていたんです。

しかし、僕が通っていたのは偏差値45の底辺高校。

進学より就職の割合の方が圧倒的に多かったこともあってか、まともな大学の指定校推薦はうちには来ておらず、ほとんどが「Fラン」と呼ばれるような低偏差値の大学ばかりでした。

だけどもうここまで来て今さら就職は選べないし、どうせなら大学で「キャンパスライフ」を満喫したい!もしかしたら彼女とかできるかも!?「レベル低い大学でも、ちゃんと通って卒業すればいいよね!」

と、後先考えずに、指定校推薦枠の中では一番知名度が高い大学の、全く興味のない学部に入学を決めてしまいました。

周りに馴染めずサボリ気味に・・・

有名大学への憧れが消えないまま、僕はなんとなく、指定校推薦枠の中では一番有名だからという理由で決めた、とあるFラン大学に入学。学部は外国語学部でした。

しかしただのオタクでしかなかった僕は、このFラン文系のノリに全くついていけませんでした・・・。

春休みの間にプチ大学デビューの準備としてメガネをコンタクトに変えたり、少し髪も染めてみたりしていたのですが、僕は「ウェーイwwww」な人たちとは上手く関わることができませんでした。

最初は「どうにか溶け込んで仲良くしておかないと!」と思いむりやり行動を共にしてみるのですが、会話やノリやテンション、まず声の大きさから全然違っていました。。。(笑)

学部も別に自分が学びたいと思った分野じゃないし、そもそも、「これを学びたい!」って思った分野なんてなかったし、もう全くやる気が起きず。

ウェイ系リア充たちのノリが嫌すぎて、自分の学部で専攻している語学の授業に出たのはほんの数回のみ。

それ以外はちょろちょろっと選択授業にだけ出席して、学部で専攻している外国語の授業はほとんどサボっていました。

入学してから1ヶ月、大学1年生の5月の時点で既に「大学合わなすぎる・・・辞めたい・・・」と考えていた僕は、次第に「別の大学に入り直すか、同じ大学の別の学部に編入したい」と考えるようになります。

別の大学というのは、もちろん今より偏差値が高い大学。

できれば昔憧れたMARCHや早慶レベルに通いたい、自分はこんなところで終わるような人間じゃない、こんなFラン大学のやつらよりは頭が良いんだ・・・と本気でそう考えていましたが、それはただの馬鹿な思い込みでしかありませんでした。

結局、何も行動に移せなかったのです。

今の大学に入るために奨学金も借りているし、家計が裕福でないのになんとか入学金や授業料も払ってもらっていたので、大学を辞めてまた別のところに入り直すなんて到底無理な話でもありました。

「同じ大学の別の学部への編入」は、とにかく今の学部のウェイ系リア充たちともう会いたくなかったからですね。

他の学部の様子を眺めては、「自分たちの学部だけがこんなにチャラチャラした奴が集まっているに違いない」「他の学部に行けば、自分に合った環境で落ち着いて勉強ができるはず」

と考えて、学生課に行って編入用の資料などをもらったりしたのですが、結局めんどくさくなって諦めてしまいました。

大学2年の春、中退

1年生のはじめの頃はほんの少しだけ選択授業に出ていたのですが、もう夏休み明けくらいからは全く授業に行かなくなっていました。

親には「大学行ってくる」と言って家を出た後、ネットカフェやカラオケで時間潰しをしていました。今思うと、本当に最低な親不孝者ですよね。

この頃はもう精神的にもとにかく疲れきっていました。

「やりたいことも特にないし、何をやっても続かない。思い返せば今までの人生失敗続きだった。こんな悲惨な現状友達にも話せないし、そもそも友達なんていない。もう死にたい、消えてなくなりたい・・・。」

1年生の頃に取れた単位はたったの3。

年明けには、成績不振で奨学金を打ち切られてしまいました。

もう為す術もなく、親にこっぴどく叱られながらも相談の末、春に大学を中退しました。

「辞めたら何をやっていくつもりなの!?」

と聞かれた時に、僕は2chの受け売りで「プログラミングを勉強して、プログラマーになる」とか言っていましたね。

2chのまとめブログにあった、「プログラミングは誰でもできる」みたいな書き込みを見て、オタクな自分でも、勉強すればできそう!と思い込んでいました。

今思うと本当に過去の自分を殴ってやりたい気分です・・・。

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大学中退後

ニートからの工場での仕事

当時はバイトもしていなかったので、大学を中退した僕は完全なニートになりました。

とりあえず親には「就職するには車の免許が必要だから、早く取っておいたほうがいい」と言われたので、親からの援助も受けて、ビビりながらも運転免許の合宿へ行くことにしました。

苦戦しながらもなんとか免許を手にし帰ってきますが、当面の間の大きな目標であった「免許を取る」を達成した僕は、しばらく就職への活力が湧いてきませんでした。

この頃は当然ながら、毎日のように「求人見たの?」「履歴書書いた?」とか色々言われていましたが、適当に受け流して過ごしていましたね・・・。

その後、過去の経験から人と関わることが本当に嫌になっていた僕は、派遣サービスに登録して工場で派遣社員として働き始めます。

「工場のラインの仕事は人とあまり関わらず、淡々と作業をしていれば良い。給料も悪くない」という2chの書き込みを見て、「自分にもできるかも」と思って工場を選びました。

僕が働いていたのは自動車工場。

溶接機械に部品をセットして、ボタンを押すだけ・・・という単純作業を1日300回くらいひたすらに繰り返すというものでした。

仕事自体は2chの評判通り、人とかかわらず黙々と進められるのでコミュ障な自分にはぴったり。

これなら自分にも続けられそう!と思いましたが、ちょうど担当場所の仕事を覚えてきたところで、別の部署へ移動させられることになってしまいます。

ようやく仕事をこなせるようになってきたのに全く別のプレス班に移動させられ、その後また溶接に戻り・・・など、とにかくたらい回しにさせられていました。

環境の変化に弱い僕は、結局これに絶えられずに1年くらいでこの工場を退職しました。

あと、残業が多くて肉体的にきつかったというのも理由の一つです。

オフィスワークがしたい!!

前の工場で溶接やプレスをたらい回しになっている時期から、僕は「オフィスワークがしたい・・・!」と考えるようになっていました。

座ってパソコンをいじる仕事って、立ちっぱなしで思い部品を運ぶ今よりはるかに楽そうだし、何よりかっこいい。

そう思って求人サイトを見てみるのですが、僕はタイピングだけはできるものの、エクセルは使えないし、プログラミング言語も全くわからないというもうダメダメなやつでした。

工場の仕事が休みの日に少し勉強しようと思ってエクセルの参考書を開いてみたりしたのですが、続かず。

だけど、どうしてもオフィスワークがしたくて何のスキルも持たないまま「未経験者歓迎」と書かれた都内のオフィスワークの募集に応募してみることにしました。

しかしこの面接では何のスキルも持っていない、勉強もろくにしていない僕はコテンパンにされてしまいました。

「とにかくやる気をアピールして、入った後から勉強しよう!」という無謀な計画のもと、

「エクセルやプログラミングに興味があって、勉強中です!」

とかほざいてました。

当然そんなやつを相手にしてくれるはずもなく、「勉強中って言われても話にならない。」と一蹴され、

もっとこうした方がいいよ、といくつかのアドバイスもいただいたのですがもう半泣きだったので何も覚えていません。笑

とにかく、考えが甘いとしかいいようがなかったですね・・・。

職を転々とする日々

とにかくもう工場で働きたくなかった僕は、なんとか工場以外で仕事がしたいと思い、オフィスワークはもちろん、思い切って飲食店バイトなんかも受けてみるのですが、どれも不採用。

この頃は、就活っぽいことはなんとなくしているけど、家にお金は一切入れていないというほぼニート状態でした。

そんな生活も長く続くはずはなく、親にまた激しく叱られ、これ以上迷惑はかけられないと思い、また工場で派遣の仕事を始めることにしました。(前とは別の工場です)

この工場ではとことん上手く行きませんでした。

また自動車製造の工場だったんですけど、ここは一人での作業ではなく、2~3人で大型プレス機械に部品をセットしたり素材の加工をしていくというものでした。

鈍臭い僕は基本的に他の方との作業ペースが合わず、だんだん不満を募らせた上司にキツく当たられるようになりました。

それでも一生懸命メモを取りながら仕事をしていったのですが、ただでさえやりたくなかった仕事の上に上司にもキツく当たられて、もうメンタルは完全に限界でした。

続いたのはせいぜい4ヶ月くらい。逃げるように仕事をやめ、またニート生活に後戻りしてしまいました。

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正社員までの道

職業訓練校への入学

次はどうしようか、一体どうすればオフィスワークに就けるかを思案していたところ、親に「職業訓練校」を紹介されました。

この職業訓練校というのは、県がタダで学校に通わせてくれる上に、通っている間は毎月給付金も出してくれるという夢のようなシステムです。

給付金をもらうには一定の収入以下でなければならない、などいくつかルールがあるのですが、貧乏だったうちは普通にその基準を通過したので、これは最後のチャンスだと思い、この職業訓練校にかけてみることにしました。

職業訓練にはいくつか種類があるのですが、僕が選んだのは「Webデザイン」です。

どうしてこれを選んだのかははっきりと覚えていませんが、「Webデザイナー」という響きに惹かれた部分は大きいです。(笑)

PhotoshopやIllustratorも学べたので、デザインだけじゃなくて、画像編集のスキルも身につけられれば、何かしらの仕事には就けるだろうという考えでもありましたね。

こうして、僕は半年間ですがWebデザインの職業訓練校に通いはじめました。

もうここではかなり努力しましたよ・・・!

なんせ大学を中退した後はたくさんの地獄を見てきましたからね。

工場で働きながら「今ごろ同級生は大学生活満喫してるのかなあ・・・」なんていつも考えていましたし、学生でいるのがこんなに精神的にラクなものなのか・・・・!としみじみ思いました。

通っている人の年代はかなりバラバラで、自分より下の10代の子もいれば、一番上は還暦を迎えた60歳の方もいらっしゃいましたね。

ここでは本当にいろんなことを学びました。特別仲が良い人がいたわけじゃなかったけど、今まで自分は本当に狭い世界しか見てこなかったんだなあ・・・と改めて思いました。

あっという間に半年は過ぎて、卒業と就職の時期になったのですが、結果からいうと僕はWebデザイナーにはなれませんでした。

未経験歓迎!と書かれたWebデザイナーの正社員求人をたくさん受けましたが、本当に全くの未経験から、いきなり「Webデザイナー」という肩書きで働くのはさすがに難しく・・・。

だけどもともとは全くWebやパソコンと無関係な仕事をしていただけに、少しでも携われたらありがたいと考えていたので、Webデザイナー以外でも幅を広げWeb系の企業もいくつか応募していたところ、バイトですが念願だった都内の企業でのオフィスワークに受かったんです。

初のオフィスワーク

結局狙っていた正社員のWebデザイナーにはなれませんでしたが、アルバイトの求人サイト経由で応募したWebショップの運営スタッフのバイトに受かり、初のオフィスワークを始めることができました。

家からは1時間以上もかかる都内のオフィスで毎日の電車通勤は大変ではありましたが、それ以上に都心でのオフィスワークに憧れ、ワクワクしていたのをよく覚えています。

このバイトで、僕は本当にたくさんのことを学びました。

この会社は都内のベンチャー企業で、運営しているWebショップを成功させるために会社のみんなで奮闘しながら、バイトの僕も意見出しや会議への参加、来客対応や電話対応なんかもしてましたね。

もちろん、ここでの仕事もすべてが順風満帆だったわけではありません。

オフィスワークやWebの仕事なんて全くしたことがなかったので、失敗したことや勉強しないとついていけないこともたくさんありましたが、やっと就くことができたオフィスワークなので、一生懸命頑張りました。

というか、もうやるしかなかったんです。

ここのバイトは1年半くらい続けていました。

そこまで大きな不満はありませんでしたが、ないものねだりで、「この会社での経験も活かして、ちゃんと就活しなおしたい」と思った僕は、転職を決意します。

ついに念願の正社員へ

その後、若者向け就職支援サービスの力も借りて、Webメディアを運営している会社の運営・ライティングのスタッフとして正社員で入社することができました。今もその会社で働いています。

ちなみに利用した就職支援サービスはウズキャリです。

大学を中退してしまうと、一人で一から情報を集めて就活していくことになるのですが、これ正直ものすごい大変です。

履歴書や職務経歴書の書き方、面接マナー、求人の選び方など・・・

就活って本当に気をつけないといけない部分が多いんですけど、これを手探りの状態から自分の力だけでそれぞれ身につけていくのはかなりしんどいので、自分は就職支援サービスを頼りました。

若者向けの就職支援サービスって、検索すると色々出てくるんで正直どれがいいかわからないと思うんですけど、ぶっちゃけ登録して使ってみないとわからない部分も多いです。

なので、とりあえずいくつかのサイトに登録してみるのをおすすめします。どれも無料なので、登録しておくだけなら損なことは一切ありません。

正直、大学を辞めたときは、もう自分はまともに働くなんてできないと思っていました。

仕事を転々としてきたときも、もう自分の人生は一生こうなんじゃないかと考えていたほど絶望する日々でした。

ネットで大学中退について調べると「大学中退は人生詰んでる」「大学中退は正社員になれない」・・・だとか、ネガティブな意見がたくさん出てきますよね。

決してそんなことはない、と僕は断言します。

ただ、行動しなければ何も始まらないのは事実です。

引きこもりニート時代は「どうせ自分はもう何やっても上手く行かない」と思って、一日中寝て過ごしていました。

今思うとすごく勿体ないです・・・。若かったのに、何もせずに時間を過ごしてしまったのは本当にもったいない。

だけどあの時苦悩した時間も、失敗してきた経験も、全てが今に繋がっているのだと考えると無駄ではなかったのかもしれません。

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「にるこれ」について

このサイト「にるこれ」は、大学中退・ニート・引きこもり・メンヘラ・豆腐メンタルだけどなんとか生き抜いてきた私、にるが今までの人生で学んできた生き方や考え方、経験談をまとめて紹介する【社会不適合者のための生き方マニュアル】を集めたサイトです。

現状に悩み、もがき、苦しんでいるあなたの手助けになれば幸いです。

それでは、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。

今後もたくさんの記事を更新していきますので、よろしくお願いいたします。