DIR EN GREYの29thシングル「人間を被る」が発売されました。
曲名の読み方:「にんげんをかぶる」
インパクト大なヴィジュアル、インパクト大な曲タイトル、インパクト大なジャケット写真。
一体この「人間を被る」はどんなメッセージが込められた楽曲なのでしょうか。
歌詞やタイトルの意味を解釈&考察していきたいと思います。
「人間を被る」歌詞
バラバラの傷を縫い合わせ
出来上がった憎悪の塊
最低最悪の出来だろ?
それは誰?
ふしだらな自決満開
出来上がったカッティングメッセージ
最低最高の出来だろ?
だから今…
Blessing to lose heart
穢されはしない幸福感
誰が正しいとかどうでもいい
誰のルールで生きてる?
誰の為に生きる?
誰の為に生きるのだろう?
フードの中から覗かせたのは
刃渡り30cmの現実
夢を見ているお前が死ね
正論だろ?
残響Twelve
Blessing to lose heart
穢されはしない幸福感
誰が正しいとかどうでもいい
誰のルールで生きてる?
誰の為に生きる?
誰の為に生きるのだろう?
Why am I living?
このまま目が覚めなくてもいい
Blessing to lose heart
これ以上の生きる意味を
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「人間を被る」歌詞の意味は?
歌詩にストーリーはなく、インタビューでも京さんは「そのときに思っていたことを書いただけ」という風に答えていました。
前作「詩踏み」に引き続いてのブチ切れ系鬱憤ぶちまけ歌詩のような雰囲気ですが、サビでは「もうどうでもいい」と言い切っています。
曲の展開も詩踏みにちょっと似ている感じがありますが、詩の内容は前作よりもかなり開き直っているという印象です。
音楽ナタリーのインタビューではこの歌詩について、京さんがこう語っています。
なんか……「正しい」と言われてるものが本当に正しいのかどうかわからないことがけっこうあったり……みんなが正しいって言ってるから「正しい」とされているだけだったり。そこに自分の意思があるのかどうかもよくわかんなかったり。数が多い方が本当に正義と言えるのか。そういうことを常に感じてるんですよね。
出典:ナタリー
あんなにたくさんの声が出せるのに、sukekiyoでは自ら楽器を演奏してボイスエフェクトをかけたりと、自分の在り方や表現方法にすら疑問を感じている京さんらしい発想です。
この詩を見て、昔京さんがインタビューで語っていた、バーベキューについてを思い出しました。
わいわいバーベキューをしている人たちを見て、京さんは「参加している人は本当に楽しいのかな?いや、絶対楽しくないでしょ」と考えたそうです。
基本的に前向きでキラキラしたポップな世界の真逆を描いてきたDIR EN GREY。
そんな表世界に対して、京さんは「自らは人間ではなく、人間を被っているのでは?」という風に考えたのでしょうか。
ストーリーがないので、わりと詩の細かい部分はフィーリングで散りばめられていると思います。
Blessing to lose heartは心を失うために祝福する?という意味ですかね・・・(英語力がなくてすみません)
Why am I living?は「なぜ私は生きている?」という意味。
そして曲の終盤はこういうフレーズが登場します。
このまま目が覚めなくてもいい
Blessing to lose heart
これ以上の生きる意味を
サビで「誰が正しいとかはどうでもいい」「なぜ、誰の為に生きている?」と考えますが、
ラストでは「このまま目が覚めなくてもいい」と全ての終わりを予感させる、ここでも開き直ったフレーズが。
しかし最後の最後には「これ以上の生きる意味を」と、これからに対する少しだけ前向きな気持ちを感じる言葉で締めくくられています。
こちらも真っ直ぐにストレートな京さんの気持ちが綴られていると思います。
現状やこれまで表現してきたものに対してと、それを取り巻く評価や周りの環境。
それら全ての正しさとは何なのか?自分は誰の為に生きているのか?
そういうものもひっくるめて、これ以上の更なる表現世界(生きる意味)を求めているんですね。
最終的には、前向きに進んでいると思います。
ツアータイトル「真世界」ともリンクしていると思いますが、ここから新しい世界に向かってまた表現していくようなイメージです。
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「人間を被る」意味考察解釈まとめ
出典:ナタリー
以上、DIR EN GREY「人間を被る」の歌詞やタイトルの意味考察&解釈でした。
「Blessing to lose heart」の掛け合いの部分は定着するとライブがすごく盛り上がりそうですね!
この作品のモードで作られるという新しいアルバムにも期待大です!!